【フィリピンの英雄】WBA世界ウエルター級王者マニー・パッキャオは現在も健在、フロイド・メイウェザー・ジュニアとの再選はいつ?
【フィリピンの英雄】
今回はフィリピンの英雄マニー・パッキャオ(40歳比)について特集させていただきます。
先日(2019年7月20日)、米国ラスベガスにてキース・サーマン(30歳米国)を相手にフィリピンの英雄マニーパッキャオが2-1で判定勝ちしました。
これはFOXを通して全世界に放送されているので、ご存知の方も多いかと思います。特にパッキャオの母国フィリピンでは知らない方はいないかと思います。
パッキャオはこの時既に40歳、ボクサーとしても衰えが見え始める年齢であり、10歳も若い対戦相手とどのような試合をするのか注目が集まっていました。
40歳という年齢である、パッキャオには全盛期のようなキレもパワーも無くなっているのは誰の目からみても明らでありました。しかし、巧みに相手の攻撃をかわし、得意の左ではなく予想外の右でコツコツとポイントを稼ぎ、また、攻めこまれても力を振り絞り反撃する等、40歳にして実に巧みに計算されたパフォーマンスを最大限に利用することで、廻りの観客、審判そして全世界にいるファンを徐々に魅了させていったのではないかと思いました。
この時のファイトマネーは、パッキャオが1000万ドル(約11億円)、サーマンが250万ドル(約2億7500万円)でした。
全盛期のマニー ↓ はこちらを観てください。
【パッキャオのこれまでの戦績】
プロボクシングでの成績は、17歳で初勝利を上げてから24年間が過ぎ、これまでに71戦62勝7負2分という成績を残している。
これまでの記録を簡単に示すと、1998年12月04日19歳でWBC世界フライ級タイトルを取った後、2018年7月15日40歳でWBA世界ウェルター級タイトルを取り、現在は世界6階級制覇という史上2人目の大記録を樹立している。
これまでに獲得した賞金は200億円とも300億円とも、フィリピンの国家予算に匹敵するとも言われているが詳細なところは多すぎて良く解りません。
この華々しい記録の中にあっても、これまでにタイトル戦で負けた回数は全部で5回にも及び、これまでに負けても再度挑戦し取り返す、何度か引退に追い込まれる中でのこの大記録になっています。
このような不屈の精神がパッキャオの魅力の一つになっていることは間違いありません。
最近でも、次のように勝ち負けを繰り返しています。
・2012年06月09日
(負)ティモシー・ブラッドリー(米)
・2013年11月23日
(勝)ブランドン・リオス(米)
・2015年05月02日
(負)フロイド・メイウェザー・ジュニア(米)
・2016年04月09日
(勝)ティモシー・ブラッドリー(米)
・2017年07月02日
(負)ジェフ・ホーン(豪)
・2019年07月20日
(勝)キース・サーマン(米)
中でも2015年に行われたフロイド・メイウェザー・ジュニア戦は、ボクシング史上最高の興行収入を記録した一戦となっています。
【史上最高の戦いメイウェザー戦】
2015年5月2日米国ラスベガスにて「WBA、WBC、WBO世界ウエルター級王座統一戦」が行われました。
5階級制覇のメイフェザーが持つWBAとWBC、6階級制覇のパッキャオが持つWBOの王座統一を賭けた世紀の対決、まさにボクシング史に残る頂上決戦となりました。
試合結果は前述のとおりメイフェザーが3-0で判定勝ちし、見事に王座統一を果たしております。パッキャオは試合後のインタビューで「私が勝ったと思った。ジャッジの採点には凄く驚いた。」と言う言葉を残していました。
この時の興行収入は528億円、フィトマネーはメイフェザーが2億3000万ドル(約280億円)、パッキャオが1億5000万ドル(約184億円)と言われており、一夜にしてこの金額が動くとはなんとも驚かされます。
因みにニューヨークヤンキースの田中将大は、一年間働いて22億円である。今回のファイトマネーの大きさがご理解頂けましたでしょうか?
【パッキャオがプロデビューするまで】
このようなビッグマネーを手にするまでになったマニー・パッキャオとは、一体どのような人物なのか、生い立ちを含めて少し書かせていただきました。
・1978年12月17日ミンダナオ島のブキドノン州キバウエで、母親と2度目の結婚相手との間に6人兄弟の4男として生まれる。
・一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家であった。
・パッキャオが6年生の時に両親が離婚、母親が工場でのパートタイムや野菜の路上販売で家計を支える。
・パッキャオは中学校を中退し、家計を助けるために路上でパンや花、タバコを売るようになった。
・8歳くらいからボクシングのまねごとを始め、週末には草ボクシングで小銭を稼ぐようになる。
・14歳の時にマニラに出稼ぎにいき、本格的にボクシングを始めるが、路上で寝泊まりしながらトレーニングをしていたそうである。
・その後、フィリピンナショナルアマチュアボクシングチームに入り、政府から住居と食事の保障を受けるようになった。
・1995年1月22日16歳の時にプロデビュー、体重が足らなかったのでポケットに重りを忍ばせ計量をパス、このようにして苦労して手にしたファアイトマネーは2ドル(100ペソ)だったそうである。
フィリピンの貧しい家庭に生まれ、家計を助けるために始めたボクシング、最初のファイトマネーは100ペソでした。
金額は少なくても、この時手にした100ペソ、パッキャオにとっては生涯忘れることができないのではないでしょうか?
【社会貢献活動について】
マニー・パッキャオは、100ペソの賞金から始まりこれまでにたくさんの賞金を稼いできてますが、慈善活動や寄付にもたくさんのお金が使われています。
学校や図書館、教会に病院などの建設や貧しい方への1000戸にも及ぶ住宅供給等の慈善活動等はネットでも良く見ることができます。
メイウェザー戦での賞金のうち80億円が慈善団体に寄付されたとも聞いております。
貧しい家庭で生まれ苦労して育った経験から、苦しんでいるフィリピンの人々のために、貧困を少しでもなくすために、賞金の中からかなりの金額を社会貢献に費やしてきたように思われます。
最近は社会貢献活動という言葉は良く聴かれるよういなってきましたが、現代社会において、個人でこれだけの私財を社会貢献に費やしている方を私は聞いたことがありません。
日本は経済大国と言われて久しいですが、日本にもパッキャオはいるのでしょうか?
【今後への期待】
マニー・パッキャオは国会議員でもある。
2010年に下院議員選挙に初当選し、現在は上院議員を務め、任期は2022年となっている。
フィリピンの大統領は現在ドゥテルテ氏が勤めているが、大統領の任期は1期限り6年と定められていることから2022年には新たな大統領が選出されることになります。
フィリピン国内では、ドゥテルテ大統領の後任としてマニー・パッキャオの名を上げる人も多く、パッキャオ自身は未だ明言を控えていますが、国民的英雄であり、社会貢献活動でも有名なパッキャオが大統領となる可能性は十分にあると思われます。
しかし、2010年から議員ではあるものの、実際にはプロボクサーとしての活動が忙しく、議員活動の実績は不明な部分が多く、これは私が言うことではありませんが、いきなり大統領になるのには不安も多いのではないかと思います。
ドゥテルテ氏がダバオ市長としての実績を十分に積んでから大統領になったように、パッキャオについても生まれ故郷に一度戻り、じっくりと行政経験を積んでから中央に復帰しても遅くないと思っています。
そして、その前にフィリピン国民の多くが望んでいることがあります。
メイウェザーとの再戦です。多分、言われなくてもパッキャオ本人も強く実現を願っていることだと思います。
メイウェザーは既に引退してしまっていますが、昨年の大みそかに行われたRIZINで那須川天心と戦うところを見て、あまりの強さにびっくりしたことがあります。力の差は歴然としていて、天心が可哀そうに思えてなりませんでしたが、もしかしてメイウェザーとの再戦も、ファイトマネー次第では可能性もあるのかと思いました。
もし実現すれば、現在の年齢、体力を考えるとマニー・パッキャオにとっても、メイウェザーにとっても名実ともに最後の試合になると思います。
そしてこれは、マニー・パッキャオだけでなく、フィリピン国民全員の悲願でもありますので、是非実現できることを願っております。
個人的には、フィリピンの英雄、マニー・パッキャオがメイウェザーをKOで完全勝利するところを、今度は観てみたいものです。
今回は、ここで終わりになります。ありがとうございました。
Thank you so much. See you next time. Good luck.
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